■千羽鶴ほど無意味なものはないとわかる話

今回は千羽鶴の話をしようと思います。

一見、YouTubeと関係なさそうな話に思うかもしれませんが、僕が以前聞いた時に、この話ほどYouTubeやビジネスの本質を伝える上でわかりやすいものはないな・・・と思ったのでシェアしたいと思います。

まず、千羽鶴とはどんな時に作るものでしょうか?

被災地の方へ送ったり、友人などが入院した際に作って送る。

ほとんどの方が今言ったことを思い浮かべたんじゃないかなと思います。

では、そう考えた方にお伺いしますが

なぜ千羽鶴を送るのですか?

この問いに対して

「昔からそう言われているから」

「思いが届くから」

と思った方は注意してください。

それが正解か、間違っているかは一旦置いておいて

僕からすると、どうして自分の考えではなく昔からある風習に流されているんだ?と思います。

では例えば、ゲーム好きな小学生の子供が白血病になってしまい、余命1年と宣告されたとしましょう。

学校ではみんなで千羽鶴をおりましょう!

と言うその子を思っての流れが起きるかもしれません。

でも、千羽鶴って本当にその子にとって嬉しいものでしょうか?

もちろん手紙を書く、何か別のものを送るなどの選択肢もあると思いますがここでは千羽鶴だった場合としてください。

その子供は千羽鶴が欲しいんですかね?

見方を変えれば、みんなが時間をかけてこんなにも鶴を折ってくれたんだ。。。

と思うかもしれません。

クラスのみんなからすれば、

みんながやるから、先生が言ったから。これで元気になるなら作ろう!

正確な判断はあまりできません。

先生からすれば、こう言う時にみんなでできそうなことは千羽鶴かな。

その理由も、よく昔から思いを込めて折って届ければ願いが叶うからと言われてるし、話もよく聞くし・・・

と言ったところでしょうか。

先生からすると自分の考えというよりは思い込みや理想で物事を進めています。

実際、ゲーム好きな子供にとって一番欲しいものは千羽鶴ではありません。

ゲームの可能性が高いです。

できれば、1人ではなく複数人でワイワイできるほどのゲームかもしれません。

なぜ、本人に欲しいものを聞かずに千羽鶴を折ったのか。まずそこに疑問が生じます。

余命が1年しかないのに。

本当に、その子のことを思っている人であればあるほど

千羽鶴を折ることはないと言うことです。

裏を返せば、このような状況で千羽鶴を折っている時点でその子のことをきちんと考えていないとも言えるわけです。

僕であれば、何が欲しいかじっくり聞いてDSなどをプレゼントすると思います。

つまり、千羽鶴ほど無意味に近いものはない。

と言うことです。

この話をすると、賛否両論で批判されたりサイコパス扱いされることがあるのですがビジネスだけでなく、人との付き合い方においても今の話はとても大事なことだと僕は思っているんですよね。

でも、それを昔の風習や周りがやっているから、言っているからという考えでやってしまう。

これも、言い方を変えればその子のことを考えることから逃げているとも言えます。

「いやいや!しっかりと考えた上で千羽鶴を作ったんだよ!」

という人は、しっかりと考えたのは自分の主観であってそのことを正当化しようとしてしまっていることに気づけないといつまで経ってもそのステージ止まりです。

その子が本当に望んでいるものを見れていません。

これは、YouTubeもどんなビジネスでも本質は同じです。

あなたは、自分の主観で動画や商品を作っていませんか?

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